/4 Colorless-hero&coated-heroine


 暗がりの中に、見つけた。
 そいつらは、その人離れした嗅覚の御陰で、その男の発見に至った。
 幾重にも塗り重ねられ、べっとりとした甘美な匂い。
 都市に充満するゴミの臭気よりなお悪質。
 こびり付いた死臭、そいつらの本能プログラムを刺激する、第二の稼働要因ファクター
 それだけでも、その男はターゲットとして相応しかったが、のみならず彼は第一要因――夕凪の命令『目標を捕獲せよ』の対象でもあった。
 だから、そいつらが男を見逃す道理など何処にもありはしない。
 けたたましい咆哮――悲鳴のようなそれが夜の静寂に木霊する。
 人の首であれば容易に吹き飛ばすほどの打撃。肉と肉を完全に乖離出来うる鋭利な爪。鋼鉄すら穿つ最凶の牙。
 ありとあらゆる凶器が、男の肉をえぐり取ろうと迫り来る。捕獲が目的であっても、そのために痛めつけるのだからまるで躊躇していない。
 だが、神ですら英雄に殺されうるのだ。そいつら――人工の悪魔が絶対であるなどという道理は存在しない。
 どころかこの世界に限定されたルールは『悪魔は英雄に殺される』。
 結局、それらは男――少年の肌に、傷一つ付けることは出来なかった。
 一体その光景は彼らにとって何回目になるのだろう。
 少年は去ってゆく。一人の少女を従えて。



 ――さて、一体、これはどういうことだろうか?

「っていうか何でこの女も一緒に帰ってくるワケ?」
「アタシにはこの雑魚を守る役目があるの。アナタこそ必要ないじゃない」
「オレはこいつの保護者。アンタがこいつを誑かさないように監視すんの」
「尤もらしく、かつ破綻している口実だけど、要するにアナタが彼と一緒に居たいだけでしょう?」
「な、何でオレが……」

 そこは、或るマンションの一室。
 俺、柊樹勇輔のクラスメイト兼幼なじみである黒姫シヅカ。そして、俺のピンチにいきなり現れたゴシック調の黒衣の少女。
 彼女らは、何故か数日前から俺と同棲している。ゴメン、表現が気にくわないから訂正する――俺の部屋を占領している。

 あの夜の対夕凪戦の後の事だ――

「柊樹勇輔。かなりの想像能力者です。今回の作戦に於ける私のパートナーでした。今後とも共同で任務にあたります」
「おいちょっとマテ、俺はもうこんな危険な事やらないからな。今回だって生き延びるために協力したんだ。お前を助ける為じゃない」
「矢っ張り雑魚ね。三原夕凪が去り際に何て云ったか覚えてないの?」
「あ――」
 ――『坊や――あなたを殺すのは次の楽しみにとっておくことにしようかしら』。
 そういえばそんなことを云ってたような……。
「わかった? 夕凪の今の目的は何よりアナタ。別に放っておいてもいいのだけれど、アナタは……それで良いか知ら?」
 ――なんてフレンドリーな会話の後、意外なことに信夜教官から下された指令が、
「それでは、楢木葉魅幽は以後、夕凪殲滅戦が終了するまで柊樹勇輔と共に行動し、彼を保護せよ。勿論住み込みで」
 意地の悪そうな笑みでそういった。
 ああ、もしかして一番の問題発言はこの人か。全部この人の所為なのか。
 お恨み申し上げます信夜教官。アンタいい人っぽいけど、今は凄く憎く思えるわ。いや、マジで。

 ――そんなやり取りがあった。
 そして、あれから俺は何度も襲い来る悪魔と戦い、加えてこいつらの相手をもする羽目となったのである。

「なぁ、勇輔からも何か云ってくれよ」
「そうね、当事者が輪の外では纏まるモノも纏まらないわ」
 ああ、出来れば今すぐ二人とも出て行ってくれればサイコーに有り難いんだケド。
 しかし、保護をなくすわけにはいかず、今更シヅカを引き離せば、夕凪のことだ、そっちを狙って来るに違いない。
「仕方ねーだろ。生活費は全部俺が出してるんだから、黙って平和にしてろ穀潰し共」
 ホント、生活費が馬鹿にならない。
 両親からの仕送り――少なくなった今月分だけでは賄いきれない程に。
「後で幾らかは出すからさ。いいじゃんケチケチすんなって」
「アタシの分の生活費に関しては、作戦が終了次第ビアンカの方から支払われると思うわ。だから少なくともアタシがアナタの命令に従う理由は無い訳。あーゆーあんだすたんど?」
 鬼だ。
 こいつらきっと遠慮とかマナーとか、そういう言葉を知らないと思う。
 既に俺の家長としての尊厳はないに等しい。クソッタレ、どこまで俺を虐めれば気が済むんだ? 俺か弱い青年だから泣いちゃうよ、ホントに。うわーんママー怖い女の人たち二人が俺の生活を邪魔するよー。全裸にひん剥いて裏路地で放置プレイにしてくれよー。
「五月蝿ぇ。ここは俺の家だっての、俺は家長、おまえらは居候――立場わかってる?」
「「ボディーガード」」
「五月蝿いよ!?」
 っつーかボディーガードならもっと俺を労れよお前ら。
 ここ数日ホントお前らの所為で疲れてる俺。それこそヒトがストレスで死ねるという事実を実証してしまいそうになるほどに。

 溜息を吐く。
 しかし転じて魅幽は口の端をつり上げる。
 嗜虐的とでも表現しようか、そんな勝ち誇った笑みだった。
 ゴメンナサイ、怖いから止めて下さい糞野郎。
「そう、残念だわ。普通なら迷惑料として二十万くらい出ると思うんだけど、大人しくするからそれもナシの方向でいいわね?」
「どうぞご自由におくつろぎ下さいっ!!」(0.2秒)
 即答。
 それは病をもつモノならば誰でも選択せずにはいられない非道な手段。金欠病という病は俺の尊厳すら切り売りさせる。
 やべ、俺の尊厳って意外と安いっぽい。
「あ、アンタ、金で釣るなんてサイテーじゃん」
「何とでもいいなさい。これでアタシはここにいる権利を得たわ。アナタは――どうなのか知ら?」
「う、五月蝿い……斯くなる上は――」
 左腕を前に、右腕を大きく引いて開脚する。――る気満々だよこの女。
「フフ、このアタシに対して喧嘩を売るなんて、馬鹿なヒト。……身の程というものを教えてあげるわ」
 傘を手に取り、丁度相手の咽喉にその先端を向けて構える。
 あーもう何かどーにでもなってしまえ糞野郎共。否、糞女郎共。
「八咫雷天流――白狼!!」「刺し穿つ死棘の槍――!!」
 必殺技らしき叫び声を上げて激突する両者。
 属性的には後者が勝ちますけど、別にどーでもいいので早くどっか消えてくれないか糞共マイフレンド
 絶対的な破壊力を持った神技が、俺の世界へやを蹂躙してゆく。訴えるぞコラ。

「ったく……何やってんだか……」
 疲れ果てていたためか、独り言を漏らす。
 だが、それが失敗だったと気が付いたのは、果たして言い終った後だった。
 急いで口を噤む。しかしそんなのは文字通り後の祭りだ。
「「――!!」」
 あ、何かセンサー発動。
 キュピーンという効果音。
 熱血バトルしてた二人にアンテナが立っている。
 ほら、イメージ的にはアホ毛がピンと立つ感じ。元祖は鬼太郎かも知れない演出。
 あと何かこっちを見ている目が光ってる。
 ――死の予感スプラッターイメージ

「そういえばアタシがここにいる羽目になったのも、勇輔が夕凪なんかに関わった所為でしたね」
「なるほど、本来ならオレがここにいる意味なんてないんだよねーそういえば。原因はコイツか」
 フフフフフフフ、と妖しい笑みを零す二人。怖ぇよ!?
 教訓、口は災いの元。先生、俺には無理っぽいです。
「鎮魂局・怒りの日――!!」「天地乖離す開闢の星――!!」

 もうなんかこれ書いてるヤツぁ死んでしまえ。



 ――ウトウトとし始める。
 意識が朦朧とし、水の中に浮いている幻想を感じる。
 イメージは缶詰。
 既に生命すら剥奪されたサカナは、スチールの密室に幽閉される。
 液体と自分の肉でびっしりと詰まったその部屋で、俺は息も出来ずに微睡んでいる。
 ……風呂場の方からなにやら楽しげな声が響いている。
 そちらへ向かおうと身体を起こす。起こそうとした。
 しかし、俺は動けない。
 異常なほどの圧力。
 藻掻いても藻掻いても、ただ深いところに沈んでいくばかり。
 俺の身体を縛り付けるそれは一体如何なる幻想だろうか。


 ――世界が変るチェンジ

 イメージは宇宙。
 訳のワカラナイ幻想が飛び交う、極彩色に染め上げられた密室。
 結局俺は動くことが出来ない。
 身体を縛り付けているゲル状の幻想がそれを許さないから。
 ――光。
 何か来る。
 あれは――

「魔剣・ガンベルク――――――!!」

 ――What?
 遙か銀河の彼方より飛来したそれは、俺を拘束していたスライムの悉くを切り捨てる。
 それは、男だった。
 視界がぼやけてよくわからないが、筒状の武器を持っている。気のせいかライオンハートなヒトが映ってる。
 齢は30代中頃だろうか。
 この空間にはまるでそぐわない安物の半そで半ズボン。
 そろそろ寂しくなってきた髪の毛が、その間抜けさを際だたせている。
 だが、その身体から発される雰囲気オーラは常人のモノとはとても思えない。

「あ、あんたは?」
「名乗るほどの名前はない。どうしても呼びたければ勇者とでも呼ぶがいい!」
 いや、そんなに呼びたくはねぇです。
 そしてそんな格好した勇者はいないと信じたい。
「で、おっさん、ここどこよ?」
「勇者! ……柊樹勇輔君、人の話は聞くものだと思うぞ?」
 名乗ってもいないのに人の名前を知っている自称勇者。
 もしかしてこの人エスパー? 電波系のヒト?

「ここは私の絶対空間。全ての法則を超越し、のみならず法則外の琥珀さんをも凌駕する面白世界」
「奈須超克宣言!?」
 ……何か進化してる面白世界。
 不吉過ぎる面白世界に割烹着のあの人エッセンスを超越する要素プラスプラス。
 或る意味居たい気もするが、疲れそうなので極力遠慮したい。

 そして絶対空間って何よ?
「よくぞ聞いてくれた」
 いや、人の心読むなよ。
「絶対空間とは限定結界を外界に影響を及ぼす程に昇華させたものであり、自己変革の著しい言霊の組み合わせと神性により実現する浸食系空間魔術だ。本人が神性を持つか、神性を持つ武具・神言・生け贄等の付加神性を用いて(以下略)」

 ――うん、さっぱりだ馬鹿野郎。
 普通ならイカれたオヤジと判断するところだけど、でも悪魔なんてのもいたし、既に非日常の内にいる俺には強ち嘘っぱちにも思えない。
 しかたないのでもう少し相手をしてやることにする。

「もう少し、わかりやすく云ってくれ、おっさん、いや勇者!」
 少し煽ってみる。
 これくらい云った方が自称勇者的なキャラはベラベラと知っている情報を教えてくれる筈だ。
 少なくとも半年くらい前にやったRPGではそうだった。
 そして、どうやらこの勇者もその例に漏れず、その策略は見事に成功したっぽい。

 ふふふ、と不気味な笑いを漏らす勇者。
 ――やる気満々だ。

「いいだろう、では耳をかっぽじってよく聞け」
 何かマジモードに入る自称勇者。
 容姿とあまりに不似合いな気迫だが、しかし一応俺も気合いを入れる。

「――まず、人の魂には神性と魔性があり、それがさらに地水火風空の五大元素の属性に別れている(中略)これが霊器官を作用させ、マナバーンに対しての防御を作動させる。通常の結界ではマナバーンは防げないからこれは重要だ。また霊器官の力は精神力と比例するので覚えておきたまえ。(中略)言霊とは変革を起こしえるワードであり、その組み合わせを呪文という。魔術はイメェジにより使用でき、呪文はイメェジを深める自己変革を促す。また言霊の組み合わせで、精神への作用も異なるので魔術の特性も変わる。派手で長ったらしい言霊を使えばその分魔術の効力も上がるのだー。(中略)すなわち言霊の組み合わせで、限定結界を絶対空間に神性を用いて昇華させもう俺最強(以下省略)」

 長ぇー!!!!飽きた。無理です先生、現代っ子な俺は長話とかマジ無理なんだけど。そんな忍耐力ありませんから!!

「へー、そりゃすごい」
 生返事を返す。
 結局何一つわからなかった。でも何か質問と答えが食い違っているっぽい。

「そうか、わかってくれたかー。わかってくれたのは君が初めてだ。感動」
 どうやら初めて報われたらしい自称勇者。
 だが残念ながらこれっぽっちも理解してない俺であった、まる。
 そうとも知らずに勇者(?)は感動に浸っている。
 今のところ、俺の報われない勇者か、イっちゃってるヤバイ中年かの二つに一つといった印象だ。
 個人的には出来るかぎり後者を望みたい。
 ――特に俺の幻想を破壊しない為に。

「まぁ、念の為一言で説明してくれない?」
「人智を越えた有象無象の異形共の阿鼻叫喚の世界とかそんな感じ。あと何か努力しないでも“血”とか何とかで(以下省略)」
「もう一回……」
「俺の妄想」(ボソ)
「何だって?」
 今のは良く聞こえなかった。短かったから俺にもわかりそうだったけど。

「要するに私は君の夢に干渉しているのだ。或いは君の夢が私の絶対空間に触れている状態とも云えなくはないがね」
 久々の獲物――というか話し相手を得たと言った感じで楽しげに喋りまくる自称勇者。
 そして今更だけど俺が聞いてたのはその絶対空間の方ですが何か。
 っていうかそろそろ素直に固有結界って云っちゃおうよ。 

「――」
 ――それは、突然の変異だった。
 勇者の目の色が変わる。
 そのオーラはさっきのまでの間抜けな勇者の十倍の威圧感を持っていた。
「……柊樹君、悪魔に襲われたんだね?(カンだけど)」
「なっ!?」
 驚愕。
 目の前のイレギュラーは、現実世界の俺の事情を言い当てた。
 この冴えないオヤジはやはりただ者ではないのか。
 軽いショック。そして目眩。
その時、俺の幻想が少しだけ破壊された。糞糞糞バッドビッチ

「矢張り……さっき君をスライムが襲っていただろう。あれは現実世界の悪魔がカタチを変えた――言うなれば浸食型の悪魔なのだー、のばー、のばー」
 な、そ、そうなのか!?
 夕凪の新たな策略はビアンカにすら全く気付かれず、この俺に近付いていたのか!?
 このオッサン、実は北辰の元研究員とかそんな裏設定がありそうな気配すら伺わせる。
 やべぇ、何かオッサン凄ぇ、ちょっと尊敬した。

 ――ビチャビチャという音がする。
 それは、特に気にならないほどの小さな音で。
「危ないっ!!」
 しかし勇者の声で俺はやっとその異常を感知し、振り返る。
 見ると、件のスライムが俺の背後に近付いている。糞、気付かなかった!
 既に攻撃態勢を整えたスライムは、俺の身体を再び束縛しようと迫り来る――間に合わない!!
 魔性の光が輝く――
「魔剣・ガンベルク――――――!!」
 勇者の持っているポスター(今はよく見える)は、しかし、その脆弱さを微塵も見せずに、その衝撃波を以てスライムを駆逐した。
 その時、確かに勇者の反応速度は、この俺を上回っていた。

「ふ、スライム程度に手こずるこの私ではない。私を倒したければお地蔵さんでも寄越すがいい『東京ひみつけっしゃ』配下――北辰め」
「た、助かった……」
 とりあえず、一安心。
 っつーかその秘密結社はこの近未来的世界にまで生き残ってたのか。しぶといな帝国主義者。今度は実験体でも量産して兵器化する計画だろうか――まぁ、俺には何のことやらだけど。

「大丈夫かい、柊樹君。そして今の技は魔剣・ガンベルクという」
 俺の心配をしながらどうでも良いことを話す勇者。
 というか分かるし。アンタ思いっ切り叫んでたし。
 そんな心内でもツッコミも虚しく、勇者は説明を続ける。
 まるで、さっきのスライムがその為だけに用意されたかののようにも感じられる。

「『魔剣ガンベルク』……赤く縫ったポスターですら悪魔を引き裂く威力を帯びる大技。オリジナルの擬似霊体具現化・二重存在の構成による斬撃。
 また天地開闢の時に生まれ出でた純粋なる絶対精神の結晶でもあるが、オリジナルは既に失われている。
 どんなものでも存在そのものを切れるらしい」
 訊いてないって。
 そして何でデータベース的説明なのかは全くの不明だ。ってか『らしい』じゃねぇよ。

「背景的イメージは閃光、吉里吉里風に記述すると[image storage="裏拳c" page=fore layer=base]」
「何故に吉里吉里? そしてこれノベルだけどゲームじゃないから。ゲーム化の予定もないから。っていうか何故画像の名前まで知っている!?」
「それはどこかのHP担当(おそらく)が体験版のバージョン2.001を無加工のままアップロードしてしまった為に」

 ――閑話休題。
 兎も角、赤く縫った靖国参拝問題ポスターを誇らしげに掲げる勇者。
 その目はキラキラと輝きこっちを見つめている。怖ぇ。
「――私は君の心意気には感動した。よって君にこれを授ける」
 既に会話が成立しないのは前提らしい。
 まるで電波の如く喋り続ける勇者。どうやら俺は彼の絶対空間に取り込まれてしまったようだ。
 勇者は、俺に向かって赤く塗りつぶしたポスターを差し出す。
 正直、要らねぇ。が、仕方がないので貰っておくことにする。
「魔剣ガンベルクは君に託す。さぁ、戦うんだ! 悪魔と、あのニュータイプ能力を備えてそうな白い悪魔と」
 ――!?
 やはりただものじゃない。夕凪の存在すら知っている?
 ガンベルクと呼ばれたポスターを受け取かどうかという所まで手を近づける。
 途端、その絶対空間から俺の夢は乖離され、俺の意識は白に染まってゆく。

 最後に「ああ、失敗か……次は『神絶の青き春風さん』のところへ行くか」なんて訳のワカラナイ独り言が聞こえた気がした。





 微睡みが遠退いてゆく。
 何か酷い悪夢を見ていた気がする。

 ――足音。
 風呂場の方からゆっくりと誰かが近付いてくる。

「なんだ、お前か」
 時計の針が十時を指している。
 バスタオル一枚だけを身に纏い、楢木葉魅幽はやってきた。
 身体から立ち上る湯気が彼女の匂いを運んでくる。
 ドクン、と鼓動が高鳴る。
 その肢体・顔つきはまるで磁器人形ビスクドール
 完璧なまでの異界の美を内包した異形が、俺に向かって歩いてくる。
 でも胸ねぇのな。
「シヅカは?」
「まだ入ってるわ。あの人が変な悪戯をするので、先に上がらせて貰いました」
 あの後、とりあえず俺は安息を得るために二人には仲良く風呂に入って貰った。
「悪戯って、何だよ」
「……凄いこと」
 何されたんだろう。
 男の性だろうか、何かエロいことしか考えられない。
 ……思考停止停止停止カットカットカット
「流石雑魚ね、考えてる事が顔に出てるわよ。いやらしい」
 ニヤリと笑う魅幽。
 鏡をみると、確かに表情が歪んでいる。何かもう死にたい。
 でも色っぽいなこいつ。今の笑みとか。
 全てを支配するかのような、それこそ男を虜にする笑み。
 それはまるで――

 ■■■■■獲物を捕らえ■して■■残虐に■■■■殺戮殺戮殺戮殺戮殺戮殺戮■■■悦に浸る■■見下し■い■玩具をみるあの笑み。
 白い――
 ―――― ―― ―――  ― ――   ―――― ―  ―――   ―――――ノイズ。

「――ッ!!」
 あいつが心のどこかで嘲笑った。
「勇輔?」
「いや、何でもない」
 嫌な汗が沸く。
 それで卑猥な妄想はどこかへ吹き飛んだ。
 あるのは、ただただ暴力の限りを極めた残酷すぎる彼女の冷笑。
 悪寒。恐怖。一種の狂気。
 ぞぶりぞぶりと心の臓を浸食し、血液に紛れて迸り、全身を犯しつくすその衝動。
 否、落ち着け柊樹勇輔。
 それはお前の心が産み出した虚像に過ぎない。
 ――深呼吸。
 木の枝のように複雑に絡まり合った思考回路フェイククリエイター
 エラー即ちフェイク。
 虚像フェイクを産み出すのは紛れもない、常識パラダイムに於ける混乱コンフュージョンという異常エラー
「大丈夫? 何か冴えない顔が更に酷くなってるわよ」
 心配してるのか馬鹿にしてるのか、よくわからない顔で魅幽が俺を覗き込んでくる。
 顔が、近い。
 (――鼓動。)
 だが、それは夕凪じゃない。紛れもなく楢木葉魅幽のそれだ。
 今の鼓動で、俺の中の三原夕凪は取り敢えず消え去ってくれた。

 その距離で、思う。
 俺は、今まで何度か悪魔との戦闘を行っている。
 その戦闘の度、俺は彼女と唇を触れ合わせた。
 だが、その行為は、あくまで能力強化の契約でしか有り得ない。
 だがら、その曖昧さに時々わからなくなる。
 柊樹勇輔と楢木葉魅幽。二人の間の心の距離が一体どれだけ離れているのか。
「なぁ」
 訊く。
 それは不意に生じた疑問だった。
 見知らぬ柊樹勇輔に、その無垢な唇を差し出す理由は何なのか。幾らこんなのでも楢木葉魅幽は歴とした年頃の少女だ。この堕落した世界の住人なら兎も角、清純な異界に棲まう彼女にとってそれは、果たしてどれだけの嫌悪感を伴うモノなのか。それとも好きでやっていることなのか――そして、その幼さで命を賭けるということは、果たしてどれだけの覚悟がいったことなのか。
「――なんでお前、戦えるんだ」
 その問いに、彼女はキョトンとした。
 現世の空気がじわじわと俺の首を絞める。
 窒息しそうな沈黙の後、彼女が返した答えは、果たして俺の想定外のものだった。
「理由なんて、ない」
「え?」
 それは、何て残酷な、答え。
 その小さなココロを壊しかねないほど凶悪な、しかし毒ならぬ毒――
「あなたと同じよ柊樹勇輔。アタリマエのように学校に行って、アタリマエのように苦しんで、アタリマエのように帰宅して、アタリマエのように眠る。……そしていつかアタリマエのように死ぬ」
 積み重ねられた日常。その浅い毒は少しずつ少しずつ獲物を衰弱させる。アタリマエのループになってしまった日常は、少年少女を殺しオトナに堕落させる腐った揺りかご。その妥協点に至る道のり――未だ堕落への反抗の意志がある場所に俺はいる。
 全てを許容するわけでなく、悪は否定されるものだと信じている。
 しかし、彼女は――
「許容してしまいなさい勇輔。その方が楽になれるわ。アタリマエのコウフクを得るためにはアタリマエの日常に立ち返らなくてはならない。それが喩え間違っていたとしても」
 ――その幼さで、この世の妥協点を許容した。
 だが、だがそれは――
「俺は――俺は、嫌だ」
「――ぇ」
 彼女の言葉が途切れる。
 当たり前だ。俺が唇で蓋をしたのだから。
 ――違う。そう思う。
 彼女の奥、それこそ一体化するくらいに解け合い、幻想を紡ぐ。
 ――確かに、妥協点を見つけ出すことは、不変という呪いと共に人間の限界に甘んじ、コウフクを得る余裕くらいは出来るだろう。でも、そんな開き直り、俺は、要らない。幻想を幻想まぼろし幻想ユメを。どんな現実すらも凌駕する強固な幻想ファンタズムを。
 喩え灰燼に帰す運命でしかなくても、喩え上塗りでしかないものだとしても、しかし、それは諦めちゃいけないと思う。
 唇が、離れる。
「ぁ――馬鹿、そんなことをしてもアタシが契約を発動させない限り意味は――んっ!?」
 再び、強引に奪う。
 溺れればいい。迷えばいい。不変な日常なんて糞喰らえだ。
 限界を破壊せよ。臨界を突破せよ。喩え俺の幻想でそれが出来なくとも、俺達の幻想はあらゆるを凌駕する。
 トゥルルル、と電話のコール音が聞こえるが、既に意の外だ。
「ん――」
 彼女からの接触、それは俺というユメすら許容し一つになろうと足掻いている。
 解け合う。
 結びつく。
 ――グラウンド・ゼロ
 全てが混ざり合い、ゼロになる一瞬――

 結びが緩かった為か、彼女のバスタオルが解ける。
 ――俺の意識が、現実に引き戻された。
 バスタオルの中の彼女の肢体――美しくて然るべきそのカラダは、しかし――
「――ぇ?」
 あまりに多すぎる、傷痕に埋め尽くされていた。
 欲情するとか、そんな下劣な感情の一つも浮かんでこない。
 あったのは恐怖、そして戦慄。
「だから――止めときなさい。幻想は儚いが故に幻想なのよ。絶望を知りたくないのなら、残酷な物語に呑まれないように――何かに幻想するのは止めなさい」
 そう言い残し、彼女は去っていった。
 この狭すぎるマンションの一室、黒姫シヅカの待つ、俺とは別の寝床へと。
 その時、確かに俺は後悔した。
 彼女が矢張り遠い存在だと気付かされてしまったから。
 彼女を、行かせてはならない気がしていたから。




 カチ■―カチ―■カチ――カチ――

 サァ、今回ハ失敗ダッタ。
 ダガ同時ニ限リナク惜シカッタ。

 ソロソロダ。
 ソロソロ――
 英雄ガ、覚醒スル。

 ――コノ残酷ナ物語ヲ完成サセル為ニ。

 嗚呼、ソウダ、ソノ為ノ駒ヲ用意シヨウ……。

 カ――カ――カ――(切断)





「ぇ?」
 言葉を、失った。
 何で、何で勇輔がいて、
 バスタオル一枚の彼女がいて、
 何で二人が、
 ――キスなんて、してる……の……?

 がらがらがらがら。
 ココロが割れる。
 ナニ、コレ?
 何が、危険分子――彼女、目を離すべきじゃなかった?
 取られた?
 ぇ
 ぇ?
 ありえない。
 何で何で何でなんでなんで――!!
 オレ、は――

 トゥルルル、トゥルルル。
 電話が鳴っている。
 とりあえず、取らなきゃ。
 あれでもここは勇輔の家で私の家じゃないけど、でもオレが一緒に住むはずだ■■■
 とりあえず、受話器を取る。
 出た声は、女のものだった。

「黒姫、シヅカさんね?」


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